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雛人形についての記述

お父さんに大昔の人は洞穴に住んでいたと聞く。
しかし、洞穴はつくれないと思い、困ったエリザベスにこんな音が聞こえる。 エリザベスのあたまの中で、「チリン」というおとがしました。
クリスマスのガラス玉のような、すみきった、小さなおとでした。 「チリン。じてんしゃのかごよ」と、そのおとが、いいました。

やがて、森からこけを持ってきて、じてんしゃのかごを覆ってみどりの草ぶき屋根をつくったり、中に敷くのにおがくずを使ったりと、工夫し始める。 こうしてあれこれ妖精の人形の家を整えていく様子はエリザベスの頭が「だめ」でも「のろま」でもないことを証明しているようだ。
ねこやなぎのわた毛をおしろい刷毛にしたり、さんざしのつぼみをレタスにし、ロールパンはブナの葉の芽だったりと、思いもかけぬ使い方をしていて、読んでいて楽しい。 自分が人形を面倒を見なければと思って世話をしてあげる、そのために想像力がうんとはたらくのだ。
そのせいか、学校でも、それまでいえなかった九九をいえるようになったり、読み方も上手になったりして、先生にほめられる。 できないことができるようになって、徐々に自信をつけてきたエリザベスはこれらのことは妖精の人形のおかげと思っている。
ところが、そんな中で、肝心の頼りにしている人形がいなくなる。 エリザベスにとっては一大事。
エリザベスはうろたえる。 それなのに、大おばあさんにゲームをさそわれたり、おつかいの用事をたのまれて…。
結局、妖精の人形がいなくても、エリザベスはもう一人で、何でもできる女の子に育っていたのだった。 この話は人形が気弱な女の子の心を助け、本来もっていた能力を引き出してくれる物語になっている。
気後れしたり、失敗をしてしまう子はきっとたくさんいるはず。 そうでなくても、兄姉にしてみれば自分はもうすっかりその道を通り過ぎているから、かばってなんかくれない。
すえっ子は遅れてきた子として、幼い心を痛めつつ、兄さん、姉さんのあとを必死で追いかけなければなれない。 この物語は、そんなすえっ子の心を描いているということもできる。

ところで、ある日エリザベスはなんでも助けてくれる妖精の人形をなくしてしまった。 誰でも、いつももっていて大事にしているものや、ここぞというときのお守りがわりの品があるだろう。
私は携帯電話につけているストラップ。 人形ではないけれど、ピーターラビットがニンジンを食べている姿を模した小さなもので、気にいっている。
一度、なくしてしまってあわてた。 あとから、ポケットの中に埋もれるように入っていたのを見つけたときは、ほっとした。
これが、エリザベスのように、頼りにしていたものだったら、どうだろう。 エリザベスは妖精の人形をなくして困り、クリスマスの飾り物を入れておくセイヨウスギの大箱の後ろにつっぷして一日中いるという、なんとも悲しいありさま。
こんなときは兄姉は心配するのに、お母さんは「ほっておきなさい」なんて、冷淡なことをいう。 さて、妖精の人形はどこに?
また、エリザベスはどうするのか? これらの「はてな」は読んでみてください。
主人公のエリザベスは兄姉にいじめられて、のけものにされている子どもだ。 G氏の作品にはよそもの、のけものであるゆえに周囲となじめず、心を閉ざし、孤独な心をもった子どもたちがよく出てくる。

G氏自身、イギリス生まれながら、赤ちゃんの頃からインドで育ち、のちに、イギリスの学校に入れられ、なじめず、つらい思いをしたという。 イギリス人の心はこちこちで、無感動で自分とは合わないと彼女はいっている。
そうしたものを読むと孤独を抱え、理解されない一連の物語の主人公の女の子たちの原型が少女G氏の中にあると思わずにいられない。 彼女は実際に人形好きで、ミニチュア好き、きっとねずみも好きだろう。
「くるみわり人形」はチャイコフスキー作曲のバレエ音楽で有名だ。 けれども原作のH氏の物語を読むことは題名の有名さに比べてもしかしたら、少ないかもしれない。
この題名を見るだけだと、かわいらしいお話とも思えるのだが、読んだ人なら、H氏のこの物語が不思議に満ちていて、ちょっと怖いお話だと感じているかもしれない。 じつのところ私はそう思っている。
訳本はいくつも出ている。 私は、原文が全訳された『くるみわり人形とねずみの王さま』と『クルミわりとネズミの王さま』を読んだ。
どちらの訳もすばらしいが、ここでは私か先に読んでいたY訳の本にそって物語をたどろう。 物語はシュタールバウム家という七歳のマリーと兄フリッツ、そして姉ルイーゼのいる家庭で起こったことである。
ときはクリスマス・イブのこと。 子どもたちへの両親からのプレゼントは子どもが喜びそうなさまざまな人形や道具、絵本などのすばらしいものがたくさんあった。
それだけでも子どもたちは感激している。 しかし、輪をかけてすばらしかったのは、判事であり、マリーとフリッツの代父であるドロッセルマイヤーさんがくれたプレゼント。
それは精巧な機械仕掛けの貴婦人たちのいるミニチュアのお城で、ため息がでるほどのものだった。 なんと、そのお城の入口を出ては、また入りを繰り返しているのは、人間の親指ほどのドロッセルマイヤーおじさんそっくりの人形だったのだ。
読者はこれだけでもう不思議な世界に誘われる。 マリーはそうしたプレゼントの中に、小さな男の人形を見つけ、好きになる。

これがくるみわり人形だった。 頭が大きく、頑丈な上半身にきゃしゃな手足、少しこっけいな人形だ。
この人形の口にくるみを押し込めばパチンとくるみを割るのだとパパが教えてくれる。 これはくるみわり人形なのだ。
しかし、調子にのった兄のフリッツが次々にかたくて大きなくるみを割らせていると、とうとう人形の歯が落ち、下あごがはずれてしまう。 マリーは人形をかわいそうに思い、傷にリボンを巻き、抱きかかえて世話をしてあげる。
こうして物語は始まる。 そして、くるみわり人形とねずみとの壮絶な戦いがあり、なぜ戦うことになったのか、はてまたなぜ若者がくるみわり人形にさせられてしまったのか、その呪いを解くにはどうすればよいかが物語中の物語で語られる。
箱の中に箱が組み込まれている構造だ。 そうした中で、くるみわり人形が好きなマリーはどんどん人形の世界、妖精の国に入り込んでいってしまう。
読んでいるとマリーが、パパもママもいる現実の世界から離れつつあり、別の世界に入ることになってしまうのではないかとひやひやさせられる。 そうした意味で、くるみわり人形とマリーの夜ごとの冒険はとてもあやういものなのだ。

マリーが体験するねずみとの危険な戦いや、お菓子の国での出来事は、家族の人たちからは夢だとはねつけられる。 ママもパパも信じてくれないどころか、「もういっペんいったら、くるみわり人形だけじゃなくて、おまえの持っている人形をぜんぶ、窓から放り出してしまうぞ」とパパに脅されてしまう。
こういうときの親の脅かし方はすごい。 幻想とは思えない世界と、現実を楯にする親のいい分に挟まれてマリーは苦しむ。
やがて、くるみわり人形が人形ではなく、もとの若い、感じのいい青年に戻ることができるのだがそれは、少女マリーが何もかも差し出して、くるみわり人形を助けようとしたおかげだった。 若者に戻った王子は王となる。


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